執着を手放す

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うちにいる般若さん。

以前に整体院を立ち上げた頃からの付き合いなので、もうだいぶ長くなる。

僕の死んだじーさんが作ったものだ。

院に来られた患者様からも、よくお褒めいただく。

 

ことの発端は、うちのばーさんがボケた時だ。

なんとかならないかと、じーさんが猛烈に写経をし、木にまで写経をし、

「折角なので」と、元大工のじーさんが般若を彫り、実家に飾っていた。

ロマンチックなことを言えば、ばーさんに宛てたラブレターといったところか。

怒られた時には、僕もよく写経をさせられたものだ。

 

僕は以前の整体院を立ち上げた際に、どうしてもそれを院内に飾らせてほしくて、

「俺にくれないか?」と頼んだことがある。

その時のじーさんの返事が、

「やりはせんが、貸してやる」

それ以降、ずっとうちの院内に飾ってある。

僕はブッダは好きだが、熱心な信仰や思想があるわけではない。

 

簡単にいうと、人って「決めつけたがるクセ」があるから、

これは絶対に必要、

これが無くなったら終わり、

あいつだけは許さない。

そんな執着が人には生まれる。

 

般若心経は、

「生まれた頃はそもそも何も持っていなかったくせに、

 人生ってそんなに握りしめる意味ある?」

と問いかけてくる、世界の見え方を見直すためのテキストだと思っている。

僕は悟りを開いたわけでもないし、達観しているわけでもない。

それなりの修行をすれば、その糸口が開けるのかもしれないが、

現実には、手放せないことが増えていく一方だ。

 

そんな時に、整体で言う上肢第四調整点を使う。

一般的にいうと、手の三里のあたりだ。

上肢第四は、腕の疲れの回復にも使うが、

力が入りすぎている場合や、思想的に「手放せない」時にも用いる。

般若心経を読みながら、自分の腕を上肢第四で調整していると、

思わず手から本を落としてしまうぐらいに、力が抜けることがある。

頭ではどうしても手放せないことも、

からだの方を先にゆるめていくと、

少しずつ「まあ、いいか」と思える余白が生まれてくる。

 

うちにいる般若さんは、

じーさんのラブレターであり、ばーさんへの祈りであり、

いまの僕にとっては、執着しすぎた頭をゆるめるための「見張り役」みたいな存在だ。

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