秋の空のように澄み渡り、心に何も執着がない状態。
先日から飾らせていただいている『無』。
たまたま寄った古美術店で、おばちゃんに奥から引っ張り出してもらった書だ。
どういったものを飾るのかと聞かれて、無心の『無』が最適だと思い選んできた。
整体では、身体を良くしてやろう、誰かよりも上手くなってやろう、良く見せようと思うと、やり過ぎたり、力が入り過ぎたりしてしまう。
その結果、効果を半減させてしまうことがある。
もしくは、かえって壊してしまうこともある。
格好をつけて言えば、患者様のお身体を観させていただき、声を聞き、ただただ感じるがままに触れる。
こちらの都合を入れない。
こう変えたい、こうなってほしい、こう見られたい。
そういうものが混ざると、手はすぐ重くなる。
無心というのは、何も考えないことではないと思う。
余計な自分を挟まないことだ。
相手の身体より先に、自分の考えを出さないことだ。
整体をしていると、うまくやろうとした瞬間に鈍ることがある。
逆に、ただ観て、ただ触れている時の方が、身体の変化はよく見える。
不思議なものだが、こちらが消えるほど、相手の身体はよく見えてくる。
だから、院に『無』を置いた。
飾りとして格好がいいから、というだけではない。
自分への戒めでもある。
良くしてやろうとしすぎない。
上手く見せようとしない。
余計な自分を出さない。
ただ身体を観る。
ただ必要なことをする。
それが一番難しく、一番大事なことなのだと思う。
桑谷整体でも、施術ではこの『無』の感覚を大事にしたいと思っている。
力を足しすぎず、考えを押しつけず、その人の身体に必要な変化を静かに見ていく。
無心であることは、何もしないことではない。
余計なものを抜いた先に、必要なことだけが残るということなのだと思う。