仏教でいう禅は、「座って自分を殺すこと」だと言う人がいる。
禅は、余計な自分を出さずに、ただ現実を受け入れて座っている。
勝とうとしない。正そうとしない。盛らない。
ただ座る。
SNSをするなと言いたいわけではない。
けれど現代は、いかに「自分はここにいるぞ」と叫ぶ仕組みが多い。
叫べば叫ぶほど疲れるし、他人の反応に振り回される。
自分が濃いほど、世界も濃くなる。
僕はブッダの教えが好きだ。
仏教家でもない。ただのファンだ。
執着が強くなってきたな、と思う時に思い出すと、生きるのが少し楽になる。
思い通りにならない現実に、こちらが余計に反応しない。
分かっていても怖い時はあるが、それでも現実世界は、いくらでも波が立つ。
「患者さんにまた来てほしい」
「早く良くなってほしい」
「今月の売り上げはどうだった」
「なんでこの人は変わらないんだ」
頭の中はすぐ忙しくなる。
整体でも、天心でいることが大事にされる。
初代の教えでは、天心とはただ「ポカン」としろと言われる。
ポカンとしていると、余計な気張りで刺激を入れすぎない。
焦りが相手に伝わらない。
現実の波に引っ張られず、観るべきものが見えてくる。
なので、施術の場でいちばん邪魔なのは「こうなってほしい」という欲だ。
治してやりたい、また来てほしい、今月の売り上げどうしよう…。
その瞬間に、手がこちら側の都合になる。
不思議なもので、何も考えないでポカンとしているほうが、結果的にうまく回ることが多い。
天心って、立派な精神論じゃなくて、余計な自分を引っ込める技術なんだと思う。
整体で稼ぐな、と言いたいわけではない。
ただ、「稼ぎたい」が頭を占領すると、観る力が鈍る。
その鈍さは、手に出るし、相手にも伝わる。
不思議だけど、何も考えていない時のほうが、うまくいくことが多い。
実際、ポカンのまま施術すると、うまくいくことが多い。
生き生き施術を頑張るより、僕の都合を一回死なせておく。
余計な自分を引っ込めて、ただただ死に死に施術したほうがよく分かるからだ。