学校でも、警察でも、自衛隊でもそうだけど、「気をつけ」という姿勢がある。
あの姿勢を見ると、なんとなく「ちゃんとしている」「姿勢がいい」「規律がある」と感じる人は多いと思う。
実際、今日『教場』を見に行った時も、あの独特の気をつけの動作が印象に残った。
ぴたりと止まり、背筋が伸び、余計な動きが消える。
あれはあれで、ひとつの美しさがある。
ただ、整体的に見ると、少し話は変わってくる。
気をつけは、いわゆる「良い姿勢」として扱われやすい。
でも、本当にそうなのか。
そこは分けて見た方がいい。
見た目として整っていることと、身体として自然であることは、必ずしも同じではないからだ。
野口整体では、身体の動きにはそれぞれ中心になる場所があると考える。
その中で、上下型の中心になるのが腰椎一番だ。
上に伸びる、引き上がる、意識を立てる。
そういった方向の動きは、腰椎一番の働きと関係が深い。
そう考えると、気をつけはかなり上下型的な姿勢と言っていい。
身体を縦にまとめ、背骨を立て、余計な揺れを消す。
自由に動くためというより、「止まる」ための姿勢だ。
ここが大事なんだけど、上下型を使っていることと、自然な姿勢であることは別だ。
気をつけは、腰椎一番の働きを使って身体を上へ引き上げている。
ただ、それは自然に伸びているというより、緊張によって揃えている感じに近い。
つまり、上下型の生きた動きというより、上下型の性質を利用して固定している姿勢だ。
だから、あの姿勢は組織には向いている。
軍隊や警察学校のように、個人の自由よりも統制が優先される場では、非常に合理的だと思う。
勝手に動かない。
勝手に考えを出しすぎない。
命令を受けるために、身体を一定の型に入れる。
そういう意味では、気をつけはよくできた姿勢だ。
公務員的というか、軍隊的というか、あの「まず自分を出さない」感じは、まさにそこにある。
ただ、整体ではそこをそのまま「良い姿勢」とは見ない。
なぜなら、身体は本来、少し揺れ、呼吸で変わり、必要に応じて伸びたり抜けたりするものだからだ。
本当に整っている身体は、固まってはいない。
立っていても、止まって見えて、内側ではちゃんと生きている。
呼吸があり、重心があり、必要ならすぐに動ける。
それに対して、気をつけは、動くための姿勢というより、動かないための姿勢になりやすい。
だから、気をつけをずっと続けるのは、身体にはあまり自然ではないと思う。
一時的に使うならいい。
場に応じて、その型に入るのも必要だと思う。
でも、それを普段の理想の姿勢として目指すのは少し違う。
背筋を伸ばして、胸を張って、動かずに立つ。
それで姿勢が良くなったように見えても、呼吸まで固くなっていたら、身体としてはむしろ窮屈だ。
姿勢というのは、形だけ見てもわからない。
まっすぐ立っているから良いとも限らないし、少し崩れて見えても、全体が通っていることもある。
だから整体では、「どう見えるか」より「どう生きているか」を見る。
ちゃんと呼吸しているか。
重心があるか。
無理に固めていないか。
必要な時に自然に動けるか。
そっちの方が大事だ。
気をつけは、たしかに美しい。
ただ、それは統制の美しさであって、生き物としての自然さとは少し違う。
あの姿勢が必要な世界もある。
実際、『教場』のような世界観には、あの身体の使い方がよく合う。
個を出さず、規律の中に入る。
その空気を、姿勢だけで伝えてしまうからだ。
でも、日常の身体までああなる必要はない。
普段の身体に必要なのは、命令を待つ姿勢ではなく、自然に立てることだと思う。
無理に固めなくても立てる。
息を止めなくても整う。
力まなくても、ちゃんと身体がある。
そっちの方が、ずっと大事だ。
気をつけは、上下型の働きを使った統制の姿勢だと思う。
だから、あれを見て「腰椎一番っぽいな」と感じたのは、かなり自然な感覚だ。
ただし、それは「良い姿勢の完成形」というより、場の目的に合わせて作られた姿勢だろう。
そう見ると、姿勢の見え方も少し変わってくる。
姿勢がいい、というのは、固まっていることではない。
ちゃんと生きて立っていることだ。