飢えというと、なくした方がいいものだと思われやすい。
たしかに、食べられないほどの飢えや、余裕のなさは人を弱らせる。
それはそうだと思う。
きれいごとで済ませていい話ではない。
ただ、その一方で、人間は満たされすぎても鈍る。
足りないことがあるから動き出せることもあるし、逆に足りなさすぎると縮こまってしまうこともある。
だから、飢えはただ悪いとも言い切れないし、だからといって美化していいものでもない。
そのあいだをどう見るかだと思う。
世の中には、足りないことをすぐ悪いものにしてしまう空気がある。
お腹が空くのはよくない。
お金に余裕がないのはよくない。
不安や不足を感じるのも、なるべく早く消した方がいい。
そんなふうに、欠けている状態をすぐ埋めようとする考え方は多い。
もちろん、行き過ぎた飢えや欠乏は人を弱らせる。
食べられないほどの飢えは身体を壊すし、お金が足りなさすぎれば気持ちまで荒れてくる。
これは実際そうだと思う。
でも、人間というのは不思議なもので、何もかも満たされすぎても働きが鈍るところがある。
いつでもすぐ食べられる。
少し寒ければすぐ暖める。
しんどければ刺激で紛らわせる。
困ればすぐ誰かや何かに埋めてもらう。
そうやって、足りない感じや不便さを全部なくしていくと、身体は自分で働こうとしなくなる。
感覚も鈍るし、工夫も減るし、どこかで生きる力そのものが眠ってくる。
野口整体では、つらさや不快を全部悪いものと決めつけない見方がある。
身体は、乱れながら整おうとするし、不調のように見える反応の中にも、立て直そうとする働きが含まれていることがある。
そう考えると、空腹にも意味がある。
ただ苦しいだけではなく、胃腸を休ませたり、感覚を澄ませたり、本当に必要なものを選び直させたりする面がある。
不足には、不足なりの働きがあるということだと思う。
お金も少し似ている。
余裕が全くないのは苦しい。
けれど、何でも買える、何でも外注できる、嫌なことはすぐ避けられる、そんな状態が人を強くするかというと、たぶんそう単純でもない。
ある程度の制限があるからこそ、人は考えるし、選ぶし、工夫する。
本当に必要なものと、ただ何となく欲しいものが分かれてくる。
身体も同じで、ただ楽であればいいわけではない。
少し足りない。
少し上がある。
だからこそ、そこに向かって働きが出てくることがある。
人は完全に満たされると落ち着くこともある。
でも同時に、鈍ることもある。
逆に、少し飢えている時、少し手が届かないものがある時には、自分でも思っていなかった力が出てくることがある。
もう少しこうなりたい。
まだここでは終わりたくない。
届きそうで届かないものがある。
そういうものがあるから、人は自分の力を出そうとする。
何もかも満たされて、もうこれで十分だとなってしまうと、そこで働きが止まることがある。
少し飢えていること、少し上があること、そのくらいが人をいちばんよく生かすのかもしれない。
だから、不足それ自体が悪いとは思わない。
むしろ少し足りないくらいの方が、人はよく働くことがある。
ただし、ここを雑にすると危ない。
飢えればいい。
貧しい方が人は育つ。
苦しい方が偉い。
そういう話ではない。
そんなふうにすると、一気に雑になる。
少し足りないことは、生きる力を呼び起こすことがある。
でも、足りなさすぎると、人は縮こまる。
呼吸は浅くなり、考えも狭くなり、工夫する前に消耗してしまう。
大事なのは、欠乏を美化することではなく、不足の中でも身体や心が働ける余地があるかどうかだと思う。
ここで、よく言われる表現を思い出す。
コップに半分水が入っているのを見て、「まだこんなにあるじゃないか」と考えよう、という話だ。
あれも、半分はその通りだと思う。
失ったものばかり見ていると、人は動けなくなる。
残っているものに目を向けることは、たしかに力になる。
まだある。
まだ使える。
今あるもので何ができるかを考える。
それは大切な見方だと思う。
でも、それだけを正解みたいに言うのはやっぱり違う。
本人が本当に渇いていて、もう足りないと感じている時に、外から「まだあるじゃないか」と言われても、励ましではなく、感覚を鈍らせることがある。
現実の不足を飛ばして、前向きな見方だけを押しつけると、自分が本当は何に困っているのかまで見えなくなる。
半分ある。
それを見て「まだある」と思う時もあれば、「もう半分しかない」と感じる時もある。
どちらかだけが正しいのではなく、その時の身体や心の状態によって、見え方は変わる。
余裕のある時は、半分あれば十分動ける。
くたびれている時は、半分では足りない。
だから本当は、ものの見方だけをいじるより前に、その人の勢いがどうなっているかを見る方が大事だったりする。
つまり、大切なのはこの二つなんだと思う。
まだある、と見る力。
もう減っている、と感じる力。
この両方がいる。
前者だけだと、無理を重ねやすい。
後者だけだと、欠乏に飲まれやすい。
本当に必要なのは、「減っているのは事実だな。でも、今ある分でどう動くか」と見られることだと思う。
人間は、足りなさを知らないと鈍る。
けれど、足りなさに潰されても働けない。
満ちすぎても眠るし、欠けすぎても縮む。
少し足りないくらいのところで、いちばんよく生きものとして動き出すことがある。
身体も、お金も、気持ちも、たぶん同じだ。
不足をただ悪者にしないこと。
でも、不足を美徳にもしないこと。
前向きっぽい言葉でごまかさないこと。
かといって、減っている事実ばかり見て止まらないこと。
減っているものは減っている。
けれど、その中でまだ働けるものもある。
そこを見失わないことだと思う。
きれいな前向きさで押し切っても、身体の方が先に鈍る。
だからといって、足りない足りないで固まっても、そこからは動けない。
自分の実感をごまかさずに見たうえで、残っている力を使う。
結局そこなんじゃないかと思う。
飢え
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