考え事が止まらない、という人がいる。
施術をしていて、この方は頭の中で大運動会をしているな、と感じる場面がある。
じっとしているように見えても、頭の中だけがずっと動いている。
考えが回り、止まりきらず、休まらない。
そういう人はいる。
こういうものを、ただ性格の問題として見ていると外すことがある。
頭で考えすぎている、というより、頭だけに上って下りてこない。
整体的には、そう見た方がしっくりくることがある。
まず大きいのは、頭部第二調律点である。
これは、目と耳の線が頭の横で交わるあたりで、整体では頭の疲れや自律神経の調整に使うところである。
ここが張っている人は、頭が休まりにくい。
考えがまとまらないというより、頭の中で動き続けてしまう。
止めたいのに止まらない。
そういう感じになりやすい。
ただ、頭だけ見ていても足りない。
こういう人は、鳩尾も硬いことがある。
鳩尾は、みぞおちのあたりで、呼吸の通りや気の下りとも関わりやすい。
そこが詰まっていると、上に上がったものが下りにくい。
頭が休まらず、胸も休まらず、ずっとどこか緊張している。
考え事が止まらない人を見ていると、頭の問題というより、鳩尾まで含めた上半身全体の詰まりとして出ていることがある。
だから、ただ考え方を変えればいい、気にしなければいい、という話でもない。
頭部第二が張り、鳩尾が詰まり、気が下りてこない。
そういう身体のままでは、頭だけ静かにしようとしても難しい。
そういう時に、邪気吐きのように一回外へ出すことが大事になる。
邪気吐きは、みぞおちを押さえながら息を吐いて、中に抱えたものを一度外へ出すやり方である。
頭の中だけで回し続けるのではなく、まず吐く。
外へ出す。
下ろす。
それをしないと、いつまでも同じところを回しやすい。
そして、天心も要るのだと思う。
天心というのは、考えがゼロになることではなく、雑念が流れていき、ぽかんとできる余白のことである。
ずっと考えている人には、この余白がない。
頭を使っていないつもりでも、止まっていない。
天心がないと、頭は休まらない。
考え事が止まらない人に必要なのは、答えを増やすことより、頭が止まっても平気な余白なのかもしれない。
さらに、こういう人は肘まで硬いことがある。
肘が硬い人は、腕だけの問題ではなく、上半身全体が抜けにくい。
肩も首も休まりにくく、結果として頭まで固まりやすい。
肘がゆるまない。
鳩尾もゆるまない。
頭も休まらない。
そういうつながりで見た方がわかりやすいことがある。
だから、考え事が止まらないのを、頭だけの問題として見ていると外す。
頭部第二がどうか。
鳩尾が詰まっていないか。
邪気を吐けるか。
天心があるか。
肘まで硬くなっていないか。
松江市の桑谷整体でも、整体でこういう人を見る時は、考え方そのものをどうこうするより、まず身体の方が休まれる状態かどうかを見たいと思っている。
頭だけで回っているものは、身体が変わると抜けることがある。
考え事が止まらない、というのも、そういうもののひとつだと思う。