子どもの卓球を見ていて、上手い子はどこが違うのだろうと見ていた。
すると、打つ手より、反対側の手が使えている子の方が上手いように見えた。
打つ手は目につく。
速い。強い。きれいに当たる。
そういうところばかり見たくなる。
ただ、整体的に見ると、表に出ている方だけ見ていると外すことがある。
反対側の手が使えていない子は、半身だけで打っているように見える。
利き手側だけで何とかしようとするから、動きが薄い。
腕は動いているのに、身体全体がついてきていない。
逆に、反対側の手が使えている子は、身体が片側で終わらない。
打つ前に、反対側で引けている。
引けるから、押し出せる。
そのため、打つ側の手にも力が乗る。
これは、ただ手の使い方の話ではないのだと思う。
反対側が働くことで、身体の中心ができる。
中心ができるから、打つ側の動きが生きる。
人は、出る方ばかり見やすい。
けれど、出る力の前には、引く力がある。
表に出る動きの裏に、支える側がある。
そこを見落とすと、動きの本質を外す。
卓球を見ていても、そこがある子は、ただ打っている感じがしない。
身体全体で球に向かっている。
反対側の手が遊んでいない子は、動きに厚みがある。
整体でも同じである。
痛い方、張っている方、目立つ方だけを追っていると浅くなる。
反対側がどう働いているか。
裏でどこが支えているか。
そこを見た方が、身体はずっと分かりやすい。
片側だけで動いている時、身体は薄い。
反対側が働いて、はじめて動きに厚みが出る。
卓球でも、整体でも、目立つところだけ見ていたら足りない。
打つ手の裏に、反対側の支えがある。
上手い子は、そこまで使えている。
自分には、そんなふうに見えた。