YouTubeを見ていると、ふと目が止まった。
指が全部ある登山家、野口健さんだ。
そんなことを言うと、失礼に聞こえるかもしれない。
けれど、高所登山の世界では、凍傷で指を失う人がいる。
岸壁を登って失う場合もあるのだろうが、多くは凍傷によるものだと思う。
極限の山を登ってきて、指が全部ある。
そこに目が止まった。
野口健さんの体癖は、僕の見解では9種と8種が混じっているのではないかと思う。
もちろん、動画を拝見している範囲での話だ。
直接身体を観たわけではないので、断定するつもりはない。
ただ、画面越しにも、9種的な野生の勘と、8種的な捻れの強さを感じる。
9種には、本質を掴む力がある。
表面ではなく、もっと深いところにある一点を捉える。
危険なものを、頭で考える前に感じ取るような働きだ。
そこに8種の、困難に耐える力が混じる。
捻れながらも進む。
折れそうで、折れない。
野口健さんを見ていると、その二つが混じっているように感じる。
鼻の感じからも、そう感じさせられる。
目を引く鼻。
どこか捻れを感じる顔つき。
鼻というのは、ただ息をするためだけのものではない。
危険な香りがする。
きな臭い。
胡散臭い。
人は昔から、危険や違和感を匂いで表してきた。
嗅覚は、とても野生的な感覚だ。
標高が8,000メートルを超えると、死の匂いがするという。
天候。
雪の状態。
風。
身体の疲労。
仲間の様子。
そういうものを積み重ねた判断もあるのだろう。
けれど、山ではそれだけでは足りないのだと思う。
情報だけでは、指も命も持っていかれる。
判断が遅れれば、命が一気に安くなる。
危険の匂いを嗅ぎ分ける力。
それは、ただの勘ではない。
生き残ってきた身体の感覚だと思う。
野口健さんは、登頂した自分と、下山できた自分。
その二つが明確に見えた時にだけ、登頂を続けるようだ。
登れる自分だけではない。
帰ってこられる自分まで見ている。
そこが面白い。
山を登る時、背負うものは少ないほどいい。
飴の袋や食べ物の外装さえ、可能な限り剥いて持っていくという。
少しでも軽くするためだ。
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テレビ局。
周りの期待。
自分の見栄。
そういうものも、山では荷物になる。
ありがたいものでもある。
けれど、背負ったままでは動けなくなる。
野口健さんは、「ごめん、やめた」と言えばいいというようなことを話されていた。
死ぬよりはいいからね、と。
急場を越えてきた人の言葉は、軽いようで重い。
登る力より、降りる判断。
進む勇気より、やめる身体。
そういう身体がある。
とはいえ、9種でなければ野生的な勘が働かないという話ではない。
9種体癖は、骨盤が締まりやすい体癖だ。
整体操法でも、身体をその方向へ導くことは多い。
骨盤が締まると、危険なものを、危険だと感じやすくなる。
身体が鈍っていると、危険なものを危険だと感じにくい。
本当はやめた方がいいのに、頭の都合で続けてしまう。
山でそれをすれば、命に関わる。
日常でも、それは少しずつ身体を壊していく。
整体で目指すのは、ただ柔らかい身体ではない。
進む身体より、やめられる身体。
背負ったものを、もう下ろした方がいいのか。
それを感じ取れる身体だと思う。
危険なものを、危険だと感じられる身体。
そこまで鈍らせないことも、整体なのだと思う。