今ではあまり聞かないが、昔は放射線の影響を受けた身体に対して、髪を切る、あるいは丸坊主にするという話があったらしい。
それが本当にどこまで身体に作用していたのかは分からない。
当時の人が、今のような理屈で説明していたわけでもないだろう。
ただ、髪を切ることで身体の感じが変わる、というのは何となく分かる気がする。
髪は、身体の一部でありながら、身体の外に伸びていくものだ。
切っても痛くない。
けれど、髪型が変わると気分は変わる。
頭の重さも変わる。
首や肩の感じまで変わることがある。
ただの飾りのようでいて、身体の外側に出た余分なもの、あるいはその人の気分や状態を背負っているものとして見ても面白い。
巨人の長嶋茂雄がスランプの時に、毎日のように理髪店に行っていたという話を聞いたことがある。
本当かどうかは分からないが、もしそうだとしたら面白い。
誰かに理屈を教わったというより、髪を整えることで、自分の身体や感覚を切り替えようとしていたのかもしれない。
調子が悪い時、人は無意識に何かを変えようとする。
髪を切る。
服を変える。
部屋を片づける。
そういう行為は、ただ気分転換というだけではないのだと思う。
女性が失恋した時に髪を切る、という話もよく聞く。
もちろん全員がそうするわけではない。
ただ、何かを終わらせる時に、髪を切りたくなる感覚は分かる。
残っていたものを一度切る。
過去の自分を少し脱ぐ。
頭や気分にまとわりついていたものを、外側から変えていく。
そういう意味では、髪を切るという行為は、身体にとっての切り替えなのかもしれない。
整体で見ていても、身体には切り替わる瞬間がある。
ずっと抱えていたものが抜ける。
頭の重さが変わる。
首や肩の力が抜ける。
表情が少し変わる。
その人の中で、何かがひと区切りついたように見えることがある。
髪を切ることも、それに少し似ている。
何かを足すのではなく、切る。
抱えていたものを少し外へ出す。
気持ちや身体の流れを変える。
それだけで、人は少し前に進めることがある。
髪を切るというのは、ただ見た目を整えることではない。
身体の外側に出たものを切ることで、内側の感覚まで変わることがある。
そう考えると、理髪も美容も、案外ただの身だしなみではないのだと思う。
身体と気分を切り替える、ひとつの手当てのようなものなのかもしれない。