僕が死ぬ日

上下型の体癖が見る夢は、正夢になることがある。
以前、そんな話を聞いたことがある。
かくいう僕にも、上下型1種が混じっている。

 

1種は、頭の中で理屈を組み立て、自分の中で筋が通ればそのまま外へ出す。
相手がどう思うかは、案外二の次だったりする。
ひろゆきや粗品なんかは、僕にはかなり1種的に見える。

なかなか嫌なタイプだが、僕にも覚えがある。

 

逆に2種は、相手がどう思うか、世間からどう見えるかを一度頭の中に通す。
考えて、こねくり回して、そのうち何が言いたかったのか分からなくなる。

佐藤二朗さん、安住紳一郎さん、米津玄師さんなんかには、僕はそういう2種的な雰囲気を感じる。
もちろん直接身体を観たわけではないので、あくまで僕の見立てだ。

 

以前のブログでも書いたが、僕には霊感がない。
ただ、一度だけ、自分がどこでどう死ぬのかまで妙に具体的な夢を見たことがある。

 

夢の中で、僕は友人が運転する車の後部座席にいた。
友人が居眠りをして対向車線へ入り、そのまま対向車へ突っ込む。
自分が死ぬ夢なのだから、忘れないのも当然だろう。

 

それから数年後、実際に友人の車の後部座席に乗っていた。
車内ではみんな寝ていたのだが、窓の外の景色が夢と妙に重なってきた。

『これ、このまま夢の通りになるんじゃないか』

そう思った途端、僕だけ眠れなくなった。
妙にそわそわして、ずっと前を見ていた。

 

すると、運転していた友人が本当に居眠りを始めた。
車は対向車線へ入り、その先から対向車が来ていた。

夢で見たままだった。

 

慌てて後ろからハンドルをつかみ、事故は免れた。
あの時ばかりは、さすがに九死に一生を得たと思った。

 

上下型の夢は正夢になるという。
確かに、夢で見た場面は現実になった。

ただ、僕は死ななかった。

 

未来を見たのか。
ただの偶然だったのか。

1種としては、どうにか理屈をつけたくなるところだが、こればかりは分からない。

 

ただ、未来を当てるためではなく、
未来を外すために見た夢だったのかもしれない。

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