肩甲骨剥がしはメンマだと思っている。
いきなり何を言っているのかと思われるかもしれない。
メンマは大事だ。
ラーメンに入っていると嬉しい。
ただ、メンマだけを前に出してラーメンを語るのは、どこか不思議に感じる。
肩甲骨も同じだと思う。
大事ではある。
背中や肋骨、首、腕の動きとも関係している。
肩甲骨に手を入れることで、身体が変わることもある。
けれど、肩甲骨はその人そのものではない。
身体の一部でしかない。
肩甲骨だけを見て、その人の身体を語ることはできない。
施術をしていると、患者さんから「肩甲骨剥がしをすると良いんですよね?」と聞かれることがある。
その時、私は『良い場合もあります』と答える。
はっきりしない返事に聞こえるかもしれないが、実際にそうとしか言えない。
肩甲骨が動かないことで、首や肩、背中の動きが悪くなっていることはある。
その場合は、肩甲骨の動きが戻ることで楽になることもある。
けれど、骨盤が止まり、腹部に余分な力が残り、肋骨が広がらないまま肩甲骨だけを動かしても、身体全体の流れは変わりにくい。
肩甲骨を剥がすかどうかより、その肩甲骨がなぜそこに張りついているように見えるのかを観る方が大切だと思う。
ラーメンで言えば、麺があり、スープがあり、香りがあり、器があり、全体として一杯になる。
メンマだけがどれほど立派でも、それだけでラーメンにはならない。
身体も同じだ。
肩甲骨だけを取り出しても、その人の生活や呼吸や使い方は見えてこない。
ストレッチも似ている。
身体は柔らかい方が良いと思われやすい。
けれど、柔らかければそれで良いわけではない。
身体には、その人を支えるための張りもある。
伸ばせば良い硬さもあれば、伸ばす前に身体の使い方を変えた方が良い硬さもある。
「身体を柔らかくしたいんです」と言われた時、私はまず理由を聞く。
スポーツのためなのか。
仕事で必要なのか。
テレビで柔らかい方が良いと言っていたからなのか。
会社の体操で硬いことが恥ずかしいからなのか。
同じ柔軟性でも、目的によって見る場所は変わる。
スポーツのためなら、その動きに必要な可動域を観る。
日常の動きが苦しいなら、どこで動きが止まっているのかを観る。
けれど、恥ずかしさや見栄のために柔らかくなりたいのなら、身体を無理に変えるより、その考え方を見直した方が有効なこともある。
身体の問題に見えて、実は人目の問題であることがある。
硬いことが悪いのではなく、硬い自分を恥ずかしいと思っていることが苦しさを作っていることがある。
そこを見ないままストレッチだけを増やすと、身体は目的のない努力に付き合わされる。
筋膜リリースも同じだ。
筋膜をリリースすること自体が目的なのではない。
ゆるめた先で、呼吸が入り、動きが戻り、その人の生活がどう変わるのか。
そこがなければ、ただ方法だけが残る。
野口整体の操法も、同じだと思う。
操法そのものが目的ではない。
どれだけ立派な型や手技であっても、それは結局、身体が変わるための手段でしかない。
その人の身体が、自分で戻る力を発揮するためのきっかけにすぎない。
手段は、いつの間にか目的になりやすい。
肩甲骨剥がしも、ストレッチも、筋膜リリースも、操法も、うまく使えば役に立つ。
けれど、方法に囚われると、肝心の人間が見えなくなる。
答えは、手技の中にはない。
その人の身体が、何のために変わろうとしているのか。
そこを観ないまま手段だけを増やしても、身体はその人自身の人生へ戻っていかない。
身体は、技の置き場ではない。
その人が生活し、悩み、働き、眠り、食べ、誰かと関わるためのものだ。
肩甲骨も、柔軟性も、筋膜も、操法も、その人の人生の中にある身体の一部として観る必要がある。
健康になることも、もしかすると人生においては手段でしかないのかもしれない。
健康そのものを飾って眺めるために、人は生きているわけではない。
自分のしたいことをするため。
大切な人と関わるため。
仕事や趣味や日常を、少しでも気持ちよく味わうため。
そのために身体がある。
施術をしていても、身体を少し触っただけで、あとは人生観の話をして納得されて帰られる方がいる。
院内でおでんを一緒に食べて、施術料をお支払いして帰られる方もいる。
普通に考えると、不思議な整体院かもしれない。
けれど、その時間によって身体がほどけ、その人の何かが少し軽くなるなら、それも一つの整体なのだと思う。
施術が必要な時はある。
手技が必要な時もある。
肩甲骨を見ることも、ストレッチを使うことも、筋膜に触れることもある。
ただ、それらはすべて手段でしかない。
本当に観たいのは、技ではない。
肩甲骨でも、筋膜でも、柔軟性でもない。
その人の身体が、どこで止まり、どこから動き始めようとしているのか、そこを観たい。
方法は、そのためにある。
桑谷整体では、そこを見失わないようにしたい。