施術を長くしていると、色々なことを覚える。
例えば、脳梗塞後の身体なら親指の異常を観る。
後頭骨を調整する。
今まで積み重ねてきた知識なので、それ自体が悪いわけではない。
ただ、『脳梗塞後だから親指だ』『後頭骨だ』と考えてしまえば、当然そこを探す。
そして何か見つかれば『やっぱりそうだ』となる。
一度、そういった考えを全部置いて身体を観てみた。
すると、腰椎5番が奥まっていることが気になった。
腰の動きが制限され、身体を前後に動かす際にも、うまく伸びが出ない。
『もしかして、この身体の強張りは腰椎5番から来ているんじゃないか』
そんな見方が出てきた。
知っていることを探すのをやめたら、知らないものが見えた。
施術に限った話ではない。
以前、ゴルフのスイングを指導したことがある。
その人は必死に重心を作ろうとしていたのだが、それをやめると上半身の力が抜け、結果として重心が作れるようになった。
ところが、今度はその状態を作ろうとして、また上半身に力が入ってしまう。
だから『重心を作ろうともしないこと』と伝えた。
オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』にも、矢を的に当てようとしないという話が出てくる。
当てるために、当てようとしない。
しかし、それも結局は当てようとしているのではないか。
最近は『天心、バカな頭、子供の心』くらいで仕事をした方がいいんじゃないかと思っている。
何も知らないということではない。
知っているけれど、それを使おうともしない。
必要なら勝手に出てくる。
『何も考えないようにしよう』とすらしない。
果たして、彼に伝わっただろうか。