皮膚病一切奇妙。
整体の古い言葉に、そういうものがある。
皮膚に出るものを、皮膚だけで見ない。
表面に出ているものを、身体全体の働きとして観る。
野中豪策という人が見つけたと伝えられている、恥骨に関係する操法がある。
資料によっては、野中豪作とも書かれている。
その操法を、皮膚病一切奇妙と呼んだという話がある。
野口晴哉も、ぜひ整体操法に取り入れろと勧められ、やってみると確かに変化があったらしい。
なぜそうなるのか、理屈では説明しきれない。
だが、身体は変わる。
整体には、そういうことがある。
この話が面白いのは、皮膚に出るものを皮膚だけで見ていないところだ。
かゆみや赤み、荒れや湿疹のような反応があっても、表面だけを追いかけない。
身体の内側で何が滞り、何が抜けず、何が外へ出ようとしているのかを観る。
皮膚病一切奇妙という言葉には、そういう見方が残っているのだと思う。
桑谷整体で特に大事に観るのは、右の骨盤だ。
整体では、右の骨盤を肝臓まわりの働きや、排泄の流れと関係する場所として観ることがある。
ここが固まると、身体は内側に抱え込みやすくなる。
本来なら処理して外へ向かうはずの流れが鈍ると、皮膚に出ているものを表面だけで見ても足りなくなることがある。
右の骨盤が緩むと、身体は処理して外へ出す方向に向かいやすくなる。
それは便や尿だけの話ではない。
汗の出方、皮膚からの発散、呼吸の深さにも関係してくる。
身体は一つの出口だけで働いているわけではない。
いくつもの出口を使いながら、内側に抱えたものを外へ出そうとしている。
皮膚も、その一つだと思う。
右の骨盤が固まると、右側の肋骨も動きにくくなることがある。
肋骨が動きにくくなると、呼吸は浅くなる。
呼吸が浅くなると、身体は外へ発散する力を失いやすい。
そうなると、内側にこもったものが抜けにくくなり、皮膚に出てくることがある。
皮膚に出ているものは、皮膚だけの問題ではなく、身体が内側に抱え込んでいるものの現れとして観ることがある。
皮膚に出たものを、ただ悪いものとして押さえ込むだけでは、身体の流れを見失うことがある。
身体は、外へ出そうとしているのかもしれない。
熱や汗、便、皮膚の反応など、身体はいろいろな形で内側のものを外へ出そうとする。
出る場所は違っても、身体が外へ向かおうとしているという点ではつながっている。
だから、皮膚に出るものを観る時は、骨盤と肋骨と呼吸、そして排泄まで含めて観る。
整体で見ているのは、皮膚そのものの診断ではない。
表に出ているものの奥で、身体がどう働き、どこで滞り、どこから外へ向かおうとしているのか。
その流れだ。
皮膚は表面にある。
でも、表面だけのものではない。
皮膚病一切奇妙。
この言葉を奇妙な話として終わらせるのは、もったいない。
皮膚に出るものを、皮膚だけで見ない。
右の骨盤、肋骨、呼吸、排泄。
それらがどうつながり、身体が何を外へ出そうとしているのかを観る。
桑谷整体では、皮膚に出るものを、皮膚だけで終わらせない。