侘び寂び

今花をいけてみて、侘び寂びってこういうことなのかなと少し感じた。

正直、言葉だけで聞くと、侘び寂びって「地味」とか「質素」とか、そんな印象で終わりやすい。
でも、実際に花をいけてみると、もう少し違う感覚がある。

花をたくさん入れて、形を整えて、隙間なくまとめたら、それはそれで綺麗ではある。
でも、どこか説明しすぎている感じが出る。
見た瞬間に全部分かってしまう。

逆に、少し足りないくらいにしておく。
少し空きがある。
少し静かで、少し物足りない。
でも、その足りなさがあることで、かえって目が止まる。
なぜか気になる。
なぜか落ち着く。

その感じが、侘び寂びなのかなと思った。

引き算の文化と言えば、たしかにそうなのだと思う。
ただ、ただ減らせばいいわけではない。
減らした結果として、静けさが立ち上がるかどうか。
そこが大事なのだと思う。

花をいけていても、入れすぎると空気が重くなる。
整えすぎると、急につまらなくなる。
逆に少し引くと、その場に余白ができる。
その余白に、花そのものの気配が出てくる。

侘び寂びというのは、完成された派手さではなくて、足りなさの中にある落ち着きなのかもしれない。
綺麗に見せることよりも、何を残して、何を語りすぎないか。
その感覚に近い気がする。

これは花だけでなく、からだにも少し似ている。
不調が出たときも、すぐに薬を飲んで無かったことにするような、何かを足すのではなく、まず余計なものを見直してみる。
食べすぎていないか。
動きすぎていないか。
考えすぎていないか。

そうやって一度引いてみると、かえって本来の流れが見えやすくなることがある。
足すことで整えるのではなく、余計を減らすことで整いやすくなる。
そこにも、少し似たものを感じる。

花をいけながら、そんなことを思った。
侘び寂びというのは、見た目の話だけではなくて、足りなさや静かさの中にあるものを感じ取る感覚なのだろう。

全部を埋めない。
整えすぎない。
語りすぎない。

そのくらいの方が、かえって深く伝わることがあるのかもしれない。

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