ワールドカップは腰が捻れる
いらしている方から、「今はワールドカップで日本中が大熱狂ですよ!」とお聞きした。
テレビを見ない。
もとい、見る時間がない私は、『そうなのか?』と妻に聞いた。
すると、「私も見ない」と返ってきた。
どうやら、夫婦そろって流行りには疎いらしい。
世の中は勝手に盛り上がり、我が家はその外側で静かに暮らしている。
ただ、好きなものは好きなようで、どこに行っても「シール見に行ってくる」だ。
熱狂というものは、それぞれの場所にある。
ワールドカップの大熱狂のせいなのか、最近は腰が捻れている方が多い。
身体を観ていると、腰の奥に勝負の熱が残っているような感じがある。
そこで、『ワールドカップを見ておられるのですか?』とお聞きすると、かなりの確率で熱く語られる。
それで学んだ。
腰が捻れている方に、先にワールドカップの話を聞いてはいけない。
お聞きするなら、腰の捻れを取ってからだ。
そうでないと、施術時間がなくなる。
整体では、捻れの働きを腰椎三番の動きとして観ることがある。
捻れは、ただ身体が曲がっているという話ではない。
そこには、勝とう、負けまいとする力がある。
相手に対して身構える力、競う力、踏ん張る力が腰に集まる。
ワールドカップを見ている時、人は自分がグラウンドに立っているわけではない。
それでも、身体はどこかで一緒に戦っている。
シュートの瞬間に息を詰める。
相手に攻め込まれると腰に力が入る。
勝ってほしい、負けてほしくないという気持ちが、身体の奥で捻れを作る。
今回のような捻れは、一時的なものだと思う。
熱狂が過ぎれば、自然にほどけていくものもある。
祭りの後に身体が静かになるように、腰もまた日常の形へ移っていく。
ただ、生まれつき捻れを強く持っている方もいる。
体癖でいうと、7種8種と呼ばれる捻れ体癖がそれに当たる。
物事の判断基準に、勝ち負けが入りやすい。
勝ったか、負けたか。
上か、下か。
負けたくないという感覚が、身体の奥にある。
格闘家に捻れ体癖が多いのは、かなり自然なことだと思う。
ファイティングポーズを取る時、身体はまっすぐではいられない。
腰が捻れ、半身になり、相手に向かう形ができる。
その捻れが、戦う身体を作る。
逆に、その捻れを全部取ってしまったらどうなるのか。
ファイティングポーズが消え、お茶会でも開いてしまうかもしれない。
平和な世界だ。
ただ、リングの上では少し困る。
捻れは、悪いことばかりではない。
雑巾や紙縒を見ると分かりやすい。
捻ることで強くなる。
捻ることで固くなる。
一本の弱いものでも、捻れが加わることで力を持つ。
身体も同じだと思う。
勝負の前、試験の前、大事な場面の前には、ある程度の捻れが力になる。
腰の奥に勝とう、負けまいとする働きがあるから、身体が前へ出る。
最後まで踏ん張る力が出る。
だから、勝負事がある方や受験生には、あえて腰の捻れを作ることがある。
もちろん、身体を壊すためではない。
抜けば良い、ゆるめれば良い、まっすぐにすれば良い、という単純な話ではない。
その人がこれから向かう場面に必要な力を、身体に残すためだ。
ただし、捻れは諸刃の剣でもある。
雑巾も紙縒も、捻れば強くなる。
けれど、あるところを過ぎると「ボキッ」と折れる。
強さとして働いていたものが、限界を超えた瞬間に弱さへ変わる。
腰の捻れも同じだ。
勝とう負けまいとする力が、その人を支えることがある。
けれど、それが過ぎると、腰は硬くなり、呼吸は浅くなり、身体の切り替えが遅くなる。
負けたくない力が、今度は自分の身体を追い込んでいく。
世の中では、身体の偏りが悪いことのように言われることがある。
けれど、偏りがまったくなくなってしまったら、個性もなくなる。
大切なのは、偏りをなくすことではない。
その偏りが、今その人にとって力になっているのか。
それとも、身体を固めすぎているのか。
そこを観ることだと思う。
ワールドカップは腰が捻れる。
少しおかしな話に聞こえるかもしれない。
けれど、熱狂は身体に出る。
勝ってほしい。
負けてほしくない。
その力は、腰の奥に形を作る。
捻れは悪者ではない。
勝とう、負けまいとする力でもある。
ただ、捻れすぎれば折れる。
整体で観るのは、その加減だ。
一時の熱なら、ほどければよい。
勝負に向かう身体なら、必要な捻れを残せばよい。
捻れすぎて折れそうなら、余分な力を抜けばよい。
桑谷整体では、偏りを消すのではなく、その人の身体の中でどう働いているのかを観ていきたい。