「一日に何時間寝たらいいですか?」
整体をしていると、よく聞かれる。
七時間がいいのか、八時間がいいのか。
最低でも六時間は寝た方がいいのか。
もちろん、人によって必要な睡眠時間は違う。
野口整体でも、上下型は比較的長く眠るとされているし、身体の型によって睡眠の取り方にも違いはある。
だから睡眠時間なんてどうでもいい、という話ではない。
ただ最近、この質問を聞くたびに少し思う。
そんなに寝ることばかり考えなくてもいいんじゃないか。
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉に、
『よく使われた一日は安らかな眠りをもたらし、よく使われた一生は安らかな死をもたらす』
という言葉がある。
野口晴哉も『全生訓』の中で、
『溌剌と生くる者にのみ深い眠りがある。生ききった者にだけ、安らかな死がある』
と書いている。
五百年近く離れた二人が、似たようなことを言っているのが面白い。
どちらも、どうすればよく眠れるかという話をしていない。
どう生きるかという話をしている。
眠ろうとするのではなく、起きている時間を使う。
使った結果として眠る。
考えてみれば当たり前なのかもしれない。
健康というと、万全な状態を保つことだと思っている人が多い。
疲れないようにする。
無理をしない。
睡眠時間を確保する。
身体に悪いものを避ける。
もちろん、それも必要なことだ。
ただ、そればかりになってしまうと、何のために健康でいるのか分からなくなる。
身体を消耗させないことが健康なら、何もしないのが一番健康ということになってしまう。
僕は最近、むしろ逆なんじゃないかと思っている。
健康だから、力を使える。
健康だから、疲れられる。
そして疲れたら眠って、また戻ってくる。
壊れない身体を作ることではなく、精一杯使っても戻ってこられる身体。
そういうものを健康というんじゃないだろうか。
野口晴哉が、
『お墓の下なら、ずっと寝ていられますよ』
というようなことを言ったと聞いたことがある。
いかにも野口晴哉らしい。
生きている間くらい、生きればいい。
眠ることは、少し死ぬことにも似ている。
一日の力を使い切って、全部手放して眠る。
今日という一日がそこで終わる。
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