僕は『気』という概念が、あまり好きではない。
だが、整体の世界ではよく気の概念が使われることが多い。
『気が通った』
『気の流れがいい』
『気が滞っている』
正確に言えば、そういう曖昧な説明だけで終わってしまうことが多いから好きでは無いのだ。
一方で、日本語には『気』のつく言葉が山ほどある。
気が散る。
気が張る。
気が合う。
そう考えると、確かに『気』というものは確かに何かしらあるのだと思う。
ただ、それを安直に使って、何となく分かったような話にしてしまうのは違う。
もう少し具体的に言葉にできないものかと思っていた。
そこで、『気』を自分なりに言語化してみることにした。
HUNTER×HUNTERを読み返していると、念の修行が妙に整体で言われる『気』と似ているところが多い。
纏、絶、練、凝、発。
もちろん漫画の話なので、そのまま整体というわけではない。
ただ、自分が普段やっていることに当てはめてみると、案外きれいに収まる。
まずは『纏』
僕の中では、これは気合法に近い。
散っているものをまとめる。
丹田に力を集め、身体を一つにする。
施術する以前に、まず自分の身体がバラバラでは話にならない。
次に『絶』
これは邪気吐きなどの脱力法を使って、自分を消していくことだと思う。
僕の場合、絶ができている時ほど施術に乗れる。
『俺の整体を見よ!』
と力んでいる時も、
『これでこの人は満足してくれるのだろうか?』
と疑っている時も、あまりうまくいかない。
正反対に見えるが、どちらも自分を見ている。
そういう時ほど手数が増える。
余計なことをする。
自分が消えている時の方がいい。
『練』は、合掌行気や集注に近い。
纏でまとめたものを、さらに濃くする。
ただ力むのではなく、必要なところへ力を集めていく。
朝のルーティーンで僕がやっていることも、だいたいこの辺りだと思う。
そして『凝』
これはかなり分かりやすい。
主訴から身体を辿っていく。
腰が痛いからといって、腰だけを見ているわけではない。
そこから足首、骨盤、腹部、背骨と見ていくと、最初に訴えていた場所とは違うところに原因が見つかることが多い。
症状を見るというより、その奥に隠れているものを見抜く。
僕にとっての凝は、そんな感じだ。
最後は『発』
これは操法そのものに近い。
ただ、覚えた技をそのまま当てはめることではない。
同じ腰痛でも、同じ身体は一つもない。
足首から辿り着くこともあれば、腹部から辿り着くこともある。
同じ場所に問題があったとしても、同じ刺激でいいとは限らない。
『凝』で観たものを、その人の身体に合わせて一手に変える。
それが僕にとっての『発』
整体は、こちらの力を見せるためのものではない。
その人の身体にもともとある力が働くように、必要なところへ必要な刺激を入れる。
どこを観るか。
どれだけ触るか。
どこでやめるか。
そこまで含めて操法なのだと思う。
纏で自分をまとめる。
絶で自分を消す。
練で力を高める。
凝で相手を観る。
発で、その人に合わせて働きかける。
こうして並べてみると、『気』という一言で済ませていたものが、少しだけ具体的になった気がする。